| 2.大怪我からの復活の4年間  | 
          
          ●2003年(130日目)にその経験が始まる。。。 
             
             2003年7年目のウエイクシーズン・イン、その頃のウエイクボードはイケイケだったなぁ。 インバート・トリックを数種類手に入れて、ホームページを通じたウエイクボード仲間の交流もたくさん、そして愛媛ローカルのウエイクボード大会「G−ZONE」を仲間達と立ち上げで開催。 第一回大会では32点で第三位に入賞、オヤジ根性をパワーアップさせようと第二回大会に向けて猛練習中に悲劇はおきた。 タントラムで無くしてしまったコンタクト、そのまま突っ込んだスケアクロウ、結果。。。。。『右膝前十字靱帯断裂』、『右膝内側側副靱帯断裂』、『右膝関節内血腫』、『右膝半月板損傷』、『右膝骨折』。 靭帯2本切れて骨が一本折れて半月板が破壊されていたのです。 手術3回、全32針、入院3ヶ月、もう2度とスポーツしたくないほど凹んだぁ(仕事も首になりかけた)。 
             
             
             退院してから、もちろんウエイクボードは止めなさいと病院に忠告されながらも、自分の中に引っかかる呪縛を払いのけるために心に誓う。 怪我前の状態に復活するまでウエイクボードはやめない。 ガチガチに医療用サポーターで固めた足でウエイク。 スラロームまで怪我から4ヶ月、ツーウエイクまで半年、バックロールと360まで一年、怪我の原因となったスケアクロウまでに一年半が経過。 医療用サポーターが腐食して一般スポーツ用サポーターになるまで2年経過。 スケアクロウを初トライするのと、一般サポーターでウエイクしたのが、最もビビッタ日、今でも記憶に残るわ。 体力や技は、そこそこ復活していたけれど、心と根性は怪我から復活しなかった。 スケアクロウをするたびにビビル、大きな当たりをするたびにビビル、3回に2回はインバートに入りかけて止める、ダブルアップに入れない。。。 あげくG−ZONE大会に復活して見ると3大会連続で0点(ゼロ点)、復帰後の3年間で6回出場し最高得点が6点だ。 悔しい、大会が終わって家に帰ると涙が出る。 もうウエイクやめよう・・と何度も思ったなぁ。 でも密かに入院中に自分に誓った約束があったのだ。 第一回のG−ZONE大会でとった「32点」を越えるまではウエイクボードを引退しないと。 
             僕のウエイク仲間達は手厳しい、甘えたことを許してくれない〜。 でも自分でも分かる情けない姿が。 そこそこ復活したんだけど・・・いくらインバートを大きくメイクしてもビビリる姿勢は情けない。 イケイケの精神こそがカッコイイボーダーだということを仲間達も全員知っている。 だから決して褒めてはくれぬ仲間。 
            
             
             
             2007年、ウエイクボード10年の節目を迎えるにあたり、今年が最後のチャンスやなぁと思っていた。 実は昨年の2006年シーズンに「32点以上」を出せたら大会を卒業しようと思っていたんだけど駄目だったんよね。 今年はシーズンインから自分を奮い立たせた。 コンドロイチン(薬)を大量に購入して靭帯を補強、シーズンインから周囲に「今年でG−ZONEを引退する」と宣言して後が無いよう自分を追い込んで、かなりの覚悟で攻めた、でかく・デカク攻めた。 そして7月、第13回G−ZONE大会「2007夏の陣」当日、さすがに興奮した。 周囲の仲間も気がついたかもしれないけど、そぉとぉ気合が入っていた。 結果は35.5ポイントで7位。 4年前より大会のレベルが上がりすぎているので、さすがに3位は無理だけど、インバート6回メイクして怪我前の記録「32点」を越える「35.5点」で終了。 その後1ヶ月、膝の痛みでウエイクボードに行けなかったけど、自分との戦いは終了、怪我前の自分に勝利した瞬間だった。 バックロール初メイクより、スケア初メイクよりリバート初メイクより、ウエイクボード人生で最も記念になる日だったなぁ。 これで自分のタイミングでウエイクを卒業できる。 
             
             
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          | 2.これからのWAKEBOARD LIFE STYLE | 
        
          
            ●ウエイクボードを卒業するつもりはないのだけれど。。。 
             
             体力的には全く問題ないデス。 感覚として体力的な問題だけであれば、まだ5年は確実にいけると思う。 45歳になってみたいと分からんけど、40歳という年齢がウエイクボードに支障があるとは思ってません。 でも今、10年を振り返ると、怪我の連続だったな。。と。 怪我は別に恐くもないのだけれど、この年になるとやっぱり会社で責任の重い(大きい)仕事が増えてきた。 自分が一週間いないだけで会社に大きな損失を与え、会社の仲間に大きな迷惑を及ぼす状況で、自分はプロのウエイクボーダーでなく、プロのサラリーマンであることを考えます。 200日を迎え、怪我の克服という大きな目的を果たした今、ハタと周囲を見渡して、ウエイクボードの卒業を考えはじめたこの頃。 
             やっぱり夏の海は楽しい、船の上は気持ちよい、ウエイクボードは心地よい。 仲間と遊ぶために海に出るかもしれないけど、競う戦う攻めるウエイクボードはもう卒業、そして怪我に関係なく自分のタイミングで、自然にウエイクボードを引退します。 
             だからウエイクボードを始めた日から書き始めてきたLEOの「ウエイクボード奮闘記」は終了します、もう奮闘しないからね。 そして愛媛ローカルウエイクボード大会「G−ZONE」も僕は卒業します。 
             
             
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                  | きっと数百人との出会いを演出してくれたウェイクボードの日々に、感謝。 | 
                 
              
             
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            | ということでウェイクボードを初め10年間にわたって更新してきたLEO「ウエイクボード奮闘記」節目を迎えて完結いたします。 |