管理人のシネマ人生
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映画に出演する

ダウンタウン
●配給元 松竹 ●公開日 1988・8・6 ●時間 120分
●監督 山田洋次 ●助監督 五十嵐敬司 ●原作 早坂暁
●出演者 薬師丸ひろ子、中村橋之助、柳葉敏郎
尾美としのり、石田えり、杉本哲太、坂上忍
渥美清、倍賞千恵子、武野功雄

 映画「ダウンタウンヒーローズ」は、「夢千代日記」「花へんろ」などで知られる脚本家、早坂暁が旧制松山高校時代を振り返って書き下ろした自伝的小説を、同年代の映画作家である山田洋次が映画的に脚色し、ドラマ化した作品。 「バンカラ」を象徴に、袴に長髪の非常にもさくるしい男性寮生活の中、滅多にない女の子との出会いで、揺れ動く気持ちを描く。 そう、そんな松山が舞台の大作品に出演しているのです、管理人LEOが。 誰にも話さなかった、そんな恥ずかしい出演裏話、このコーナーの為に15年ぶりに暴露しちゃいます(恥)。 カ・ナ・リの恥物語だけど、ま、時効でしょう!

映画出演へチャレンジ

あらすじ
 物語は、松山高校の寮生活者たちの奔放な生活ぶりを追って展開します。 志麻浩介(中村橋之助)は、『県女のマドンナ』と噂される房子(薬師丸ひろ子)と知り合い、片思いに身を焦がします。 そんなある日、文化祭の演劇コンクールに「理髪師チッターライン」の出し物で参加しようと計画をまとめた寮生たちは、アガーテ役として房子に白羽の矢をたてます。 浩介の必死の説得で房子を主演女優に迎えた一同は演劇コンクールで大成功をおさめます。 この舞台で演出家をつとめたオンケルは房子に恋をして、結局、手痛い失恋のために学校を去っていきます。 また、ある時、逃亡してきた遊郭の娼婦を、学生寮にかくまうことになった1週間は、一同にとって笑うに笑えない珍事、難事がもちあがります。 そして1年後、松山高校は愛媛大学となって、寮生たちは全国に散っていくわけですが、彼らにとってこの短い学生生活は永遠に忘れられない体験であり、赤々と燃える青春そのものでした。

撮影秘話
 僕のエキストラ撮影の時に一緒に撮影に入っていたのが柳葉敏郎と武野雅雄と石田エリ。 3人とも待時間は僕達と同部屋で、数メートルの距離でしたっ。 めちゃくちゃ感動&ドキドキでしたよぉ〜。 欽ドコの良い先生・悪い先生の仲だけあって、ギバちゃんと武野は待時間中、ギャグの連発。 一生懸命、石田エリを笑わせておりました。 あと、俳優さん達の迫力ある演技も覚えてます、僕もエキストラで乗っていた坊ちゃん列車を追いかけてくる石田えりさんの迫力の演技は、今でも覚えてます。 今の時代ならデジカメで記念撮影もしていたんだろうけど、一枚の写真すら残っておりません。。。。残念。

主役オーディション編

 僕、大学時代は俳優になりたかったんです、マジで。 高校時代に演劇部に所属し何本か学芸舞台を演じ、その快感に酔いしれていた頃。 大学では映画研究部に所属し、数十本の自主映画を作成(主に出演派)し、チャンスあらばスカウトされたいぃ〜(愛媛であるわけないんだけどネ。。。)なんて夢見ておりました。 といっても東京に上京したり劇団に所属したりっていう、人生をかけてまでの勇気もなく、人生にラッキーってないかなぁ〜なんて夢見る程度だったけどね(照笑)。 そんなこんなの大学3年生の頃、やってきた最初で最後のチャンスが『ダウン・タウン・ヒーローズ』の主役オーディションだったんです。
 その雑誌の募集要項には地元優先の文字が! さっそく父親に応募写真を撮影してもらい書類選考、そして第1次選考通過の手紙がやってくる。 2次選考は松山全日空ホテルで総勢20名程度の地元愛媛県民で開催。 周りのメンバーを見て不思議と自信満々の僕の元に、やってきたのは2次選考の主役オーディション不合格(まあ、あたりまえだわな)通知。 同封されていたのが地元エキストラのバイトの案内と映画宣伝パンフレットが。。。『や〜めた』。。。って事であっさり夢やぶれたし。 そういえば後から考えると、地元愛媛からは誰一人として出演者に選ばれてなかった状況と、結局主役は中村橋之助(三田寛子の旦那さん)って事を考えると。。。宣伝の為のオーディション(よくある話)だったんだ。。。

エキストラバイト編

 そんなオーディション落選から2ヶ月後、当時120名所属の松山大学映画研究部の部長をしていた僕の元に、ダウンタウンヒーローズの地元エキストラの募集、日給1日1万円の案内が舞い込んできた。 もちろんオーディションを受けていた事実は、家族と彼女以外には秘密だったので、映画研究部の立場としても快く快諾。 当日撮影現場の五十崎町駅に集めた部員数50名。 そのまま近くの公民館に移動すると、全日空ホテルで2次選考を受けていた同士達の姿があるではないか。 『あああ、こいつらエキストラ募集に応募したんだなぁ〜』なんて思いながら、結局エキストラのバイトにきてしまった自分が恥ずかしかった。。。
 さっそくADさんに衣装を着替えさせられ、昭和20年代の兵士の役で、五十崎町駅から内子町駅に向かう坊ちゃん列車に乗せられる。 石田エリが、その坊ちゃん列車に乗った柳葉敏郎を追いかけるというシーンの乗客だ。 寅さんシリーズでおなじみの山田洋二監督に何シーンも撮影され、舞台は移り、宇和町の宇和小学校(現在の宇和町米博物館)へ移動してのオープニングの学校シーンの撮影。 1人3役ほどのエキストラを終えた僕達部員は1万円のバイト代金を握りしめ解散。 もしかして僕だけが監督に見初められたりしないかなぁ〜なんてバカな事を夢見て1日が終了したのだった。

映画上映編

 さて、そんな楽しかった撮影の思い出も忘れかけていた頃、遂にダウンタウン・ヒーローズの公開日となり、当映画研究部員達数十人で映画館(国際劇場)へ見に行く。 オープニング・シーンの学校シーンで、いきなり部活先輩のアップ画像が写り、しかもセリフ付きだっ! 『く・くそ〜、やられた』。 同僚達はセリフはないものの後姿や顔半分など姿が映っているのに。。。俺の姿は無かったかぁ〜。 気を取り直してエンディング間近の坊ちゃん列車のシーン。 そうだ、ここは、何度も何度も撮影をされ、僕のドアップシーンも沢山あった自信のシーンだ。 目が乾いて涙があふれそうなくらい見開いてのワン・シーン。。。時間にして0.5秒の瞬間の出演(たぶん本人しか確認不可能)、僕のダウンタウン・ヒーローズ伝説は幕を閉じた。 それからさらに1年後、レンタルビデオ屋に並んだダウンタウン・ヒーローズであったが、父親・母親・姉妹と家族揃ってのビデオ鑑賞をしたっけ。 もちろんあの幻のワン・シーンを何度も何度もストップ&コマ送り。 たしかに僕だ、そう若かりしLEOの姿だ。 誰にも言えないけどネ。

最後に。。。。
 僕の会社の同僚で、30歳を過ぎてから会社を辞めて劇団に所属し、俳優を目指して早6年って男がいます。 結構キャラの濃い奴だったんだけど、一生懸命やっている割に、なかなかVシネマのエキストラ止まりで苦戦しているみたいです。 松山大学の映画研究部の数千人のOBの方の中には、本気で映画の世界にチャレンジした方もいらっしゃいましたが。。。。やっぱり簡単に夢見ちゃいかんですね。 俳優の道、監督の道、脚本の道、シネマ道とはスポーツも同じで、人生をかけなきゃ。。。いやいや、人生かけても遠い道のりなんだろうなぁ〜。 生涯映画人。。。僕の憧れだったんだけどねっ。