ディスコ今昔物語
- ★11年前(昭和62年頃)・・・★
- 11年前、松山市内には3カ所の有名ディスコがあった。
NO.1は「ラフキャバン」(現在のパウンドハウス横のビル5F)、ここが一番アダルトなお店で当然料金も高かったけどお客さんの質もよかった。 大学生には気安く入ることのできない空間だったが、当時ココでバイトをしていた僕の大学の先輩はおいしい思いをかなりしていたらしい。店内も真っ暗で唯一エッチな雰囲気が漂うディスコであった。
NO.2は「カルフォルニアシティ」(現在のCLUB EXの場所)、いわゆるCCである。 料金も標準的で大学生から社会人までオールマイティで楽しめる空間であった。
NO.3は「イースター」(現在の居酒屋春夏秋冬で大街道入り口マクドナルドのビル)。 料金が安く、なんと入場料金500円だったので、大学生中心にかなり若い年代で埋め尽くされていた。 私も一番よく通ったお店だ。
どの店も完全にターゲットの年代が分かれていて、入場料金も営業時間も音楽も店内の趣向も違っていて、うまく常連客をつかんでいたようだ。 しかし従業員はともかく、ナンパはそれほど激しく行われていなかったし、ダンスブームもまだ先で、それほどブームもなくディスコの認知度は低かった。
- ★9年前(平成元年頃)・・・★
- そして10年前、全国的にマハラジャ旋風の吹き荒れた時代だ。 全国的なディスコブームとなり、上記3店舗の他に2店舗が加わる。
1店目が「マハラジャ松山店」(現在は居酒屋白木屋で銀天街中央付近ビーフラットビルB1)、店内はキンキラキンのゴージャスずくしで値段も高いが料理も本格的、和洋中にデザートと数十種類のメニューが揃っていた。 ちなみにココのビーフストロガノフはバツグン旨かった。
2店目は「ラジャスタン」(現在のCLUB EXビルの4F)、アダルトな雰囲気を全面に打ち出し、今でいうCLUBのノリで音楽も楽しみながらの大人の交遊場って感じで、テクノなんてもちもん流さない。
その後、まもなくして「カルフォルニアシティ」も「リベラジオーネ」と店名を変更し、昔でいうジュリアナ東京系の方向性を全面に打ち出す。ついにデイスコ戦争が激化。
- ★8年前(平成2年頃)・・・★
- ディスコ戦争にいち早く負けたのが「イースター」で、格安料金を惜しまれつつ閉館を迎える。 ココの最終日のパーティには僕も参加したが、市内の若者が全員参加してるかと思うほど(大げさ)混んでたのを覚えている。 きっと今30歳前後のディスコ好きの君なら覚えている事だろう。
次には「ラフキャバン」で、「マハラジャ松山店」と狙いも方向性も似ていた事から閉館においつめられる。 そして最後にあの全国的なジュリアナ旋風がに巻き込まれ、あっさり身を引いたのが当の「マハラジャ松山店」であった。 ジュリアナ系のリベラジオーネが全盛期を迎え、いまどきマハラジャ??なんて馬鹿にされる人々が続出し、場所も銀天街と遠かったのも重なって、なんとも短期間の命であった。 だいたい、東京の真似をして服装チェックが厳重だったのも、ちょっと勘違い??である。
で、マハラジャの黒服(なつかしい響き)の人達が、常連さんを引き連れてリベラジオーネの店員さんになっちゃいました。 それもあって、この先、リベラジオーネの全盛期の到来です。
ちなみに当時マハラジャ松山店で利用されていたキンキラキンの内装は、現在キスケボウル内カラオケWAOのパーティルームで利用されているとの噂だ。(確かにそっくりだ)
- ★6年前(平成4年頃)・・・★
- 6年前位、「ラジャスタン」では集客が悪く週末のみの営業になってしまい、ついにはリベラジオーネに吸収されてしまう。 「リベラジオーネ」では、平日営業は3Fのリベラジオーネのみ、週末営業は3Fのリベラジオーネと4Fのラジャスタンのフロアも解放して3Fダンスホールの4F飲食中心別名ナンパホールという営業体制になる。 しかし結局1年後、4Fのラジャスタンもすっかり閉館してしまう。 ますます全国的にジュリアナ人気急上昇で、深夜番組の「TONIGHT」等でも取り上げられた事から、(自転車でディスコに通う愛媛のギャル!!って感じだったと思う)松山市唯一のディスコ、リベラジオーネは全盛期になる。
- ★2年前(平成8年頃)・・・★
- 2年前位、ジュリアナ人気の下降とともに全国に流行始めたのがCLUBである。 芸能人達がジュリアナやツイスターを去り、六本木や麻布のアポロやイエローといった小スペースのCLUBに方向転換した事で、松山市にも新たな波がやってくる。
三番町のキスケビルB1にあったパブ「B1」にCLUB「ババリ−バ」(現在のビブロス)がOPENし、続いて「クリブクラブ」や「マンホール」といったCLUBがOPENする。 ジュリアナの閉館にリベラジオーネも見切りをつけ、ついにCLUB「EX」のOPENが平成8年冬の事であった。
正確にいうと、クラブEXとリベラジオーネは別会社で、リベラジオーネはのモアグループ(エステ)の店舗だったので、当時のリベラの従業員の皆さんは、現在同系列のワールドキッチンやパラディッソやカルネバーレにいます。
で、OPENしたものの当初は悲惨なものであった「EX」、CLUBには似合わない広いスペースと、ナゼか店内中央にお立台が1つ、音楽もすっかり大人ぶってしまい、DJも喋らないしで、週末でも数人のお客さんしかいなかった。 平日なんて4人〜5人のもんだ。 あせったEXは、お立ち台も除けて、音楽もパラパラありのテクノやラップありの、DJもディスコのりバリバリにして、結局はリベラジオーネの常連さんが戻ってきて現在があるのだが、リベラでよかったんじゃないの??って感じになってしまった。
- ★近年・・・★
- で現在、「バーバリバー」も「ビブロス」になり、ますます週末は盛り上がる「EX」。がんばって盛り上げていきましょう!!!以上、毎週末EXに行っている松山野獣会LEOでした。
