劇場映画今昔物語
- ★15年前(昭和58年頃)・・・★
- 14年前、松山市内の映画館といえば国際劇場(現三番町シネマサンシャイン)だけであった。 映画館内の室数は今と同じくらいだったと思う。 現在のシネリエンテはというと松劇と呼ばれ日活ロマンポルノを中心とした映画館で、子供はウロウロしてはいけない映画館であった。 国際劇場では、当時映画といえば2本立が常識で(たまに3本立なんてのもあった)、マイナーな映画とメジャーな映画をセットで1,000円程度で同時上映していた。 松劇はポルノ映画中心という事もあって当時学生だった私は興味津々で劇場の前をチラチラ通りながらも人目が気になり結局入館した事は一度もなかった。 あと、奥道後映画館っていうのもあり(現奥道後ホテル館内)、ちょっと古めの劇場映画を格安で見る事ができた(オモにトラさんシリーズや子供向けにゴジラやアニメ中心に扱っていた)。
当時の松山市の映画事情の話題を一つ。 愛媛県内には愛媛新聞と日刊新愛媛という新聞が発行されていたのだが、特に日刊新愛媛は新聞購読者の獲得に為に、国際劇場の映画無料チケットや割引チケットを乱配しまっくった。 当然、我が家でも日刊新愛媛を購読していたので、毎月映画の無料チケットが2通以上は届き、お金を出して映画を見に行った事はなかったです!
- ★12年前(昭和61年頃)・・・★
- 12年前、映画って常に流行っているとは思うが、そんな中でも盛り上がっていた時代だったと思う。 2本立てとはいえ、映画館が1つだった当時、松山で公開されない名作映画も多くて映画好きの僕は、よく広島や大阪まで見たい映画を見に行ったりもした。
当時の松山市の映画事情の話題を一つ。 数ヶ月1度、フイルムマラソンというイベントが国際劇場で開催されていた。 これは夕方から翌日の朝まで12時間近く、数々の名作映画を上映し続けるというイベントで、1回2,000円程度で途中退場・再入場もOKだった。 私も毎回参加して、興味のない映画になると途中退場して深夜喫茶店に行き、再入場していた思い出がある。 このイベントの日には松山市内の映画好き達が国際劇場に集った。 油汗をかきながら、お尻が超痛いのを我慢しながらミンナ参加していた。 ちょっと異様な光景であるが、参加者は主に大学生が多かった気がする。
- ★9年前(平成元年頃)・・・★
- 9年前、映画の上映が1本だけになり始めたこの頃(特に洋画が1本立で上映し始めた)の松山市の映画事情の話題を一つ。
なんと松山市が舞台の映画が上映されたのだ。(今年でいう「がんばっていきまっしょい」みたいな)。 そう、その映画は「ダウンタウンヒーローズ」。 監督は寅さんシリーズの山田洋次監督で、薬師丸ひろ子・柳葉敏郎・中村橋の助・石田えりなど豪華キャストであったワリには余りヒットしなかった作品。 でも松山市内や内子町などで坊ちゃん列車を走らせての撮影もあったし、松山市民を対象に主役オーディションや脇役オーディションも開催されていた。(実は私もこの映画にエキストラで出演している) 私はこの頃、映画にはまりまくり、年間でも劇場で150本近くは映画を見に行っていたね。
- ★6年前(平成4年頃)・・・★
- 6年前位から、松山市内の映画館事情が変貌を遂げる。 国際劇場が三番町シネマサンシャインとしてリニューアルし、続いて大街道シネマサンシャインが新設される。 アダルトビデオの普及からか日活が倒産(我が家では日活のカブで大損した)し、松山劇場もシネリエンテとして成人映画館から一般映画館へと変貌をとげ、映画館が一気に活気あふれる。
- ★近年・・・★
- 近年、サラウンドシステムや多スピーカーシステムなど音響効果を狙った映画館や、郊外型の映画館など、映画館も多彩な趣向モノが増えてきた。 松山市内の映画館も今年・来年あたりから、また更に活気あふれる予感がする今日この頃、きっと最新設備の映画館が私たちにすばらしい映画を届けてくれるだろう。 今年の松山市の映画事情の話題といえば、「がんばっていきまっしょい」の公開ですね。 詳しくは当HPシネマゾーンのコーナーを見てね。
古くは夏目漱石の坊ちゃんや寅さんシリーズ、近年でもアブナイデカや東京ラブストーリーなどのドラマでの撮影など、どうも素朴系の映画で利用されるようだが、大体が犯人・主人公の故郷だったりが多いけど、そういうイメージなんだろうね松山市は。
以上、松山商科大学改め松山大学初代映画研究部部長、LEOでした。
