カラオケ今昔物語


★13年前(昭和60年頃)・・・★
 13年位前は当然カラオケBOXなんてなかったんだよ。
 カラオケなんて、スナックに置いてあったカセットテープ式のものが主流で、スナックのママが好きな曲のカラオケカセットを買ってきて(1本に10曲位入っている)は、なんか薄っぺらい手書きの本に追加で書き込んでたのだ。 もちろん歌詞は本を見ながら歌う。
 その頃は、おじさんおばさんが演歌や銀恋を歌う位で、若者は全然興味なかったけどね。 料金はスナックで1曲200円。 カセットだから、曲のリクエストがあると頭出しする作業が発生するのだ。(1分以上かかる)ヒエー!


★11年前(昭和62年頃)・・・★
 11年位前になると松山市でも、いわゆるパブが流行して大学生やカップルやナンパのスポットとして大ブレイク!
 市内の有名所としては「パブ杏里」「カラオケ村」「テン」「B1」「フルーツ村」「トゥインクル」「テクノ」「おたま」とか、なんせいつも若者で超満員! 平均1人2,500円前後で2時間歌い放題飲み放題が多かったね。
 それでもまだテレビ画面なんてなくて、歌詞なんかもステージに設置されている歌本の歌詞カードを見ながら歌うシステムが多かったね。 歌が決まったらお店の人が歌本から歌詞カードを探してくれて、(たまに間に合わなくて曲が始まったりしてた)それを見ながら歌うんだぜえ!超かっちょ悪い!
 そのうちパブのカラオケもカセット式からレーザディスクになってようやく静止画像(っていうか紙芝居だったな)がついてくるようになった。 なんせ、合コンやナンパと言ったらパブしかない!って感じだったね。おいらも当時の彼女と2人でよく行ったよ、ウン。


★9年前(平成元年頃)・・・★
 で、今から9年位前に松山で初めてのカラオケBOXが誕生!!
 宮西の現在ドコモ松山支店(愛媛ヤナセ、日産サニー前)の所に24時間コンビニエンスストア&レンタルビデオの「ALWAY24」 っていうお店が1時間500円で始めた(但し別途1曲100円)。 このあと赤鬼青鬼っていうお好み焼とかゲームセンターとか、最後にはショットバーまでやったけど、結局つぶれたね、この店は。
 なんせすごかった、カラオケ人気は。 郊外でも2時間待ちは当たり前で、予約入れてドライブしてから歌いに行ってたね。 その後、33号線や11号線や196号線、56号線と次々にできていった。 もちろんまだチェーン店なんてなかったから、BOXの中も簡素なものだったよ。 だいたい相場は1時間500円別途1曲100円で、歌い放題はまだなかった。 だから受付で100円玉の両替機があって、20枚位両替してからBOXに入っていたね。(で、100円玉が切れたら、また両替機に走る)
 もう、合コンやデートといったらカラオケBOX、バイトが終われば仲間でカラオケBOX、男同士でもカラオケBOXだったね。 で、カラオケBOXで練習して、パブで本番って感じ。


★7年前(平成3年頃)・・・★
 そして今から7年位前、カラオケBOXがついにレーザディスクの導入と歌い放題1時間2000円システムが主流になってくる。 それとともにパブが衰退、カラオケショットバーなるものが誕生。
 カラオケショットバーなんて、どこが最初に始めたんだろうねえ? 僕が行ってるお店で一番早かったのは、「HASSEN堂」とか「アーリーバード」それと「パープルレイン」あたりかなあ。 「HASSEN堂」は当時、現在インディーズ・インディーサン・インディーヒルのお店のマスターが初めて出したお店だったんだよね。(バーテンダーはマッちゃんだった) 「アーリーバード」とか「ニーズ」とかは、ここから数々のカラオケショットバーのマスターを産み出してるんだよね、「DEV」とか「TERRER」とか「ハロッズ」とかね。 「パープルレイン」は女性のお客さんがかなり多くてよく行ってました。
 で、その翌年にはJOYSOUND1号店が松山初の通信カラオケシステムとして導入されCMでも大ブレイク!! 通信カラオケの到来だ。


★近年・・・★
 もう現在ではあたりまえの様な通信カラオケだけど、当初は膨大な投資が必要なため導入するお店は少なかったね。
 松山では「ビックエコー」とか「第一興商」なんかがチェーン店では多かった方だ。 でも結局「るるる」「WAO」とかっていう超大型のカラオケBOXができて、全国チェーン店は縮小していったね。
 現在のカラオケBOXで稼働率がいいのは、たぶんキスケ「WAO」と大街道「U坊」ではないでしょうか? これからどうなる事やら、今や世界の「KARAOKE」だもんね。
 以上、スナック「ユートピア」&カラオケ「ビックエコー」元店員バイターズの松山野獣会LEOでした。


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