映画の街 愛媛県松山市

「映画の街松山」 なんて言葉を書くと「なんで松山が映画の待ちなんだ!ホームページネタでデタラメを書くな!」なんていうことを言われそうだが、そんなあなたは愛媛県の事とかく松山市の事をよく理解していないのである。 松山市には、戦後まもなくの映画ブーム時においては当時17万人の松山市民に対して23館もの映画館があふれていた。 今の東京都の一角においてもこれほど映画館が密集している地域は無いと思う。 アマチュア映画クラブの結成においても、日本全国でも一、二を争うほどの先鞭を印している街なのである。 かの映画評論家の淀川長治氏の言葉をここに紹介し、このコーナーでは「映画の街松山市」の映画の歴史を面白おかしく振り返ってみたいと思う。 

’96「松山百点」191号より 記述:淀川長治
 いまから60年近いまえ、私は「友の会」を生んだ。 「映画の友」の編集をやっていたので「読者と私」のじかの握手の為に。 当時は二十歳代、だから全国、日本中に「支部」を設けて回りに回った。 支部などという言葉は嫌いだ、「集い」だ。 東京のその1回目はいつだったかなぁ。 すると京都や大阪や名古屋、それにおひざもとの横浜などがたちまち、この「集い」に参加した。 そして地方で一番早かったのが松山だった。 ゆたかだった。 その映画の愛し方もゆたかだった。・・・・・・・中略・・・・・・
  松山を訪問する時、一泊は決まって大和屋という豪華な旅館に泊まった。 松山は二度も三度も、それは旅行嫌いな私には珍しい事だ。 うれしいのは「松山」の友情、たのもしいのは「松山」のおませな映画愛、けれどもうひとつ、つけたさせていただくと温泉だ。・・・・・・・中略・・・・・・
  松山は湯けむり、松山はクダモノ、とくにあのユズの香り、みどりも、空も、まだまだその自然を誇っているでありましょう。 ここで世界第一級の映画を見つめる楽しさを、そのぜいたくさを「松山」の皆様はお持ちなのだ。 幸せだ。・・・・・・・以降省略・・・・・・・ 
コーナー参考文献:「シネマな面々」より  著者:上田雅一氏
 

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