1945年以降(戦後) 松山市内の劇場MAP


1 国際劇場 現在のシネマサンシャインの前身
2 タイガー劇場 のちにシネマサンシャインに売却されて現在は大街道店になる
3 松山劇場 現在のシネリエンテ経営の劇場
4 グランド劇場 奥道後・日刊新愛媛新聞の連携でブーム最後まで残った劇場
5 オリオン劇場 スバル座オリオン劇場もブーム最後まで残ったが消滅
6 ロマン座 一番町を愛媛銀行に売却後中の川に移転したが最後には消滅
7 新栄座 8 松山松竹 9 銀映 10 ライオン館
11 松山東宝 12 御宝劇場 13 東劇 14 日映
15 万映 16 名画劇場 17 大劇 18 第一劇場
19 本町劇場 20 モデル座 21 昭劇 22 ロマン座 

有楽座 日映(築山町) 銀映(三番町)
グランド劇場 オリオン座 有楽座(全体)
ロマン座(一番町) 御宝劇場 合同野立看板
*画像写真は全て昭和28年(1953年)当時
写真画像:参考文献 上田雅一氏著書「シネマな面々」より

戦後の松山市内劇場事情について
 戦後の松山市内にはすごい数の映画館が開館された。 もちろん劇場激戦の中、ナイトショー30円や新聞広告半額割引などなど攻防がくりひろげられ、特に松山グランド劇場では連日一日7000人以上の観客が入り、更に次々と映画館が建設されていき、各劇場はどこも黒字の大繁盛であった。 上記の他にも和気地区に和気座(現JR和気駅前)、三津地区には五つもの劇場(温泉劇場・三津東映・永楽座・柳勢座・電気館と三津商店街中心にあった)が開館されている。 私の母親が和気出身なのだが、幼い頃には1ヶ月フリーパス券を購入して、新作映画が出るたびに座布団を片手に和気座に通ったらしい。 なにせ、娯楽といえば映画しかなかったらしい。 その後TV時代の到来によって劇場衰退への道を歩み始め、ロマン座が愛媛銀行になり新栄座がパチンコマルタマになり劇場が大激減。 
 私がよく映画を見に行った1970代になると最終的に上記1〜6の映画館が残る。 当時、劇場規模最大を誇り映画の億万長者といわれた坪内氏経営のグランド劇場も奥道後・日刊新愛媛新聞との連携経営失敗により衰退、その他スバル座・ロマン座も閉鎖され、現在の劇場事情に続くことになる。 ちなみにこの頃、地方の村では学校や農協を利用してよく上映会なるものが催されていたらしいが、トーキー全盛期のこの時代に、無音映画に弁士の語りという設備であったらしい。 
 

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